2010年 01月 03日
小さな民族衣装
|
2009年夏の中国雲南省からベトナム北部のたび。中国側河口からベトナム側ラオカイに入り、2008年に続いてサパへ。
中国側で苗(ミャオ)と呼ばれる民族がベトナム側ではモンとなり、同じくヤオはザオにかわる。
民族衣装の変化は国境に関係なく、同じ国でも地域や民族グループで違うのですが、国境を隔てて民族の違いを特に感じたのは、子供の数でした。
中国には「ひとりっ子政策」があって、でもそれは都市部の漢民族だけのものと思っていましたが、私がたびした少数民族の村でも、母親が2人以上の子供をつれて歩いている姿をまったく見かけませんでした。
それがベトナムのサパにやってくると、みやげ物売りに励む子や、ネットカフェでインターネットをしている子、水牛の面倒を見る子、そんなたくさんの子供たちの姿がありました。
2008年に出会ったザオやモンの人たちに尋ねたとき、兄弟姉妹が5人、6人は当たり前だったのを思いだしました。
まだ幼い子供さえも民族衣装を着こなして、イヤリングもつけていて、そんな姿が愛らしかったです。
中国側で苗(ミャオ)と呼ばれる民族がベトナム側ではモンとなり、同じくヤオはザオにかわる。
民族衣装の変化は国境に関係なく、同じ国でも地域や民族グループで違うのですが、国境を隔てて民族の違いを特に感じたのは、子供の数でした。
中国には「ひとりっ子政策」があって、でもそれは都市部の漢民族だけのものと思っていましたが、私がたびした少数民族の村でも、母親が2人以上の子供をつれて歩いている姿をまったく見かけませんでした。
それがベトナムのサパにやってくると、みやげ物売りに励む子や、ネットカフェでインターネットをしている子、水牛の面倒を見る子、そんなたくさんの子供たちの姿がありました。
2008年に出会ったザオやモンの人たちに尋ねたとき、兄弟姉妹が5人、6人は当たり前だったのを思いだしました。
by asiax
| 2010-01-03 23:05
| ベトナム