2016年 03月 13日
ドライブインのミャンマー料理
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ヤンゴンからカローに向かう夜行バスに乗る。
前日、格安の部屋にチェックインした私は、よほどの貧乏旅行人と思われたのか、宿のスタッフにカローに向かうバスのチケットの手配をすると、迷うことなく安いバス会社に予約を入れたのだ。
そのバス会社の電話番号の下に「V I P」と書かれたバス会社の電話番号があって、
- こっちのバスにしてくれ -
と心の中でつぶやいたものの、
- ああ、これはこれでおもしろそうだな -
と納得している自分がいた。
チケットの予約が済むと、宿のスタッフは丁寧にも、タクシーでバスステーションに行かなくても、ヤンゴン駅前から出る格安の乗り合いバスで行く方法を教えてくれた。
?俺ってそんな貧乏旅行人に見えるのかなぁ、という思いと同時に、中途半端なミャンマー語を話す私は、やはりミャンマーをたび慣れた貧乏旅行者に見られても仕方がない気もした。
2003年、初めてのミャンマー訪問もホワイトハウスに宿泊し、マンダレイに向かう夜行バスの予約をここでしたのだ。
当時はV I Pと呼ばれるような高級バスはなく、高速道路もまだ整備されていない時代だった。
長距離バスでの移動で、おなかをこわすのを心配していた私は、宿の朝ご飯を食べた後は、ほとんど何も食べずに日本で廃車となった観光バスに乗り込んだのだ。
なにより、日中のあまりの暑さに食欲がなかったのと、初めてのミャンマー訪問で何も分からず、食事代でぼられるのを心配していたこともあるのだが。
途中で立ち寄ったドライブインで夕食を兼ねた休憩があって、私もバスの同乗者たちと一緒に食堂の席についたのだが、当時の私はあのくるくるしたミャンマー文字が、視力検査の上とか右とかそんな記号にしか見えなかったし、もちろん聞き取ることも話すこともできなかった。
食堂のスタッフも同乗したバスの人も「何が食べたいのですか?」みたいなことを私に尋ねているようなことは分かっていたが、何を食べられるのか分からないし、そもそもおなかをこわすのが心配で食べたくもないのだ。
他の同乗者がチャーハンやビルマカレー、麺料理を食べている中、私の目の前に運ばれたのはスープとご飯だけだっだ。
正直、おなかはすいていたし、ホワイトハウスで食べた朝食は決してミャンマー料理といえるものでもなかったし、このスープでいただくミャンマーライスがまたけっこうおいしかったのを今も思いだす。
2015年9月、このときもバスはオンボロではあったが、高速道を一直線に走るバスは快適そのものだった。
やがて、夕食を兼ねた休憩でバスはドライブインに立ち寄った。
正直、このときもおなかをこわすのをおそれて、できれば食べたくはなかった。でも、その食堂に陳列された料理の数々が、本当にうまそうで、そそられてしまった。
店の主人だろうか、そのおじさんは決して流ちょうではないけれど、とても分かりやすい英語でひとつひとつの料理やオーダーの仕方、料金を丁寧に話してくれた。
- あー、この国もずいぶんかわったなぁ、そして自分も成長したな -
私はいかにもこの国らしい料理として、豚の皮つき肉のカレー、竹の子の炒め物、すりつぶした海老を醗酵させたバズンチンのサラダをチョイスした。
まさかドライブインの食堂でこんなしっかりしたミャンマー料理を味わえるとは思ってもみなかった。
ごはんのおかわりを給仕する若い女性スタッフが私のそばに近づくと、私は迷うことなくご飯を求めた。
2003年、スープとご飯だけの食事から、これだけのものが味わえ、そしてご飯のおかわりまでいただけるようになっていたことがうれしかった。
前日、格安の部屋にチェックインした私は、よほどの貧乏旅行人と思われたのか、宿のスタッフにカローに向かうバスのチケットの手配をすると、迷うことなく安いバス会社に予約を入れたのだ。
そのバス会社の電話番号の下に「V I P」と書かれたバス会社の電話番号があって、
- こっちのバスにしてくれ -
と心の中でつぶやいたものの、
- ああ、これはこれでおもしろそうだな -
と納得している自分がいた。
チケットの予約が済むと、宿のスタッフは丁寧にも、タクシーでバスステーションに行かなくても、ヤンゴン駅前から出る格安の乗り合いバスで行く方法を教えてくれた。
?俺ってそんな貧乏旅行人に見えるのかなぁ、という思いと同時に、中途半端なミャンマー語を話す私は、やはりミャンマーをたび慣れた貧乏旅行者に見られても仕方がない気もした。
2003年、初めてのミャンマー訪問もホワイトハウスに宿泊し、マンダレイに向かう夜行バスの予約をここでしたのだ。
当時はV I Pと呼ばれるような高級バスはなく、高速道路もまだ整備されていない時代だった。
長距離バスでの移動で、おなかをこわすのを心配していた私は、宿の朝ご飯を食べた後は、ほとんど何も食べずに日本で廃車となった観光バスに乗り込んだのだ。
なにより、日中のあまりの暑さに食欲がなかったのと、初めてのミャンマー訪問で何も分からず、食事代でぼられるのを心配していたこともあるのだが。
途中で立ち寄ったドライブインで夕食を兼ねた休憩があって、私もバスの同乗者たちと一緒に食堂の席についたのだが、当時の私はあのくるくるしたミャンマー文字が、視力検査の上とか右とかそんな記号にしか見えなかったし、もちろん聞き取ることも話すこともできなかった。
食堂のスタッフも同乗したバスの人も「何が食べたいのですか?」みたいなことを私に尋ねているようなことは分かっていたが、何を食べられるのか分からないし、そもそもおなかをこわすのが心配で食べたくもないのだ。
他の同乗者がチャーハンやビルマカレー、麺料理を食べている中、私の目の前に運ばれたのはスープとご飯だけだっだ。
正直、おなかはすいていたし、ホワイトハウスで食べた朝食は決してミャンマー料理といえるものでもなかったし、このスープでいただくミャンマーライスがまたけっこうおいしかったのを今も思いだす。
2015年9月、このときもバスはオンボロではあったが、高速道を一直線に走るバスは快適そのものだった。
やがて、夕食を兼ねた休憩でバスはドライブインに立ち寄った。
正直、このときもおなかをこわすのをおそれて、できれば食べたくはなかった。でも、その食堂に陳列された料理の数々が、本当にうまそうで、そそられてしまった。
店の主人だろうか、そのおじさんは決して流ちょうではないけれど、とても分かりやすい英語でひとつひとつの料理やオーダーの仕方、料金を丁寧に話してくれた。
- あー、この国もずいぶんかわったなぁ、そして自分も成長したな -
私はいかにもこの国らしい料理として、豚の皮つき肉のカレー、竹の子の炒め物、すりつぶした海老を醗酵させたバズンチンのサラダをチョイスした。
ごはんのおかわりを給仕する若い女性スタッフが私のそばに近づくと、私は迷うことなくご飯を求めた。
2003年、スープとご飯だけの食事から、これだけのものが味わえ、そしてご飯のおかわりまでいただけるようになっていたことがうれしかった。
by asiax
| 2016-03-13 21:59
| ミャンマー(ビルマ)