2017年 02月 19日
ノスタルジック カロー
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ヤンゴンに暮らしはじめてからはじめて、1年半ぶりにカローに訪問。
嫁の実家に到着すると、大豆を煮た湯気と薪の煙、そしてできたばかりの納豆のにおいが漂う。
久しぶりの嫁の家族との再会では、5歳になって日本語もちょっと話すようになった甥っ子や、まん丸に太った姪っ子が日本でいうところの中学生になって、女の子として美を意識し始めたのか、ずいぶんスリムになって、目鼻立ちのしっかりした美しい少女になっていた。
また、以前は家族の人たちから話しかけられても嫁さんに訳してもらわないとほとんどわからず、私が話したミャンマー語も通じず、嫁さんが訳しなおしていたのも、今回はある程度会話が成り立つようになった。
街中はバイクの交通量が増えて信号機ができていたり、ツーリスト向けのホテルやカフェ、土産物屋があちこちに新しくオープンしていたりしていた。
でも、以前と変わらず五日市が開かれて、民族衣装姿のパオ人の売る野草や薬草、パロン人が栽培するお茶や柑橘類が見られ、市場の食堂ではバナナの葉を器にしたシャン料理が味わえた。
地元で採れた野菜類はヤンゴンとは比べ物にならないほど新鮮で、値段も安く、ビーツや葉つきのニンジン、ヤンゴンでは流通してない品種の茄子やトマト、やはりヤンゴンでは入手困難な手作りの豆腐におからなど、食材の鮮度や多様性はヤンゴンよりずっと豊かだった。
人々もせかせかしてなくて、親切で、やさしくて、あらためてミャンマーの人たちの心の豊かさを感じた。
嫁の実家に到着すると、大豆を煮た湯気と薪の煙、そしてできたばかりの納豆のにおいが漂う。
久しぶりの嫁の家族との再会では、5歳になって日本語もちょっと話すようになった甥っ子や、まん丸に太った姪っ子が日本でいうところの中学生になって、女の子として美を意識し始めたのか、ずいぶんスリムになって、目鼻立ちのしっかりした美しい少女になっていた。
また、以前は家族の人たちから話しかけられても嫁さんに訳してもらわないとほとんどわからず、私が話したミャンマー語も通じず、嫁さんが訳しなおしていたのも、今回はある程度会話が成り立つようになった。
街中はバイクの交通量が増えて信号機ができていたり、ツーリスト向けのホテルやカフェ、土産物屋があちこちに新しくオープンしていたりしていた。
なお、今回は普段使用しているデジカメを持参するのを忘れてしまい、スマホのカメラで撮影しているため、いつもと比べ画像がよくないことをご了承ください。
by asiax
| 2017-02-19 19:47
| ミャンマー(ビルマ)