2007年 01月 21日
バリの誤解
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私はアジアのたびの中であえて避けていた場所があった。
バリ島。
そこは私にとっては観光地化され、島そのものがアミューズメントパークであり、それぞれの地区がアトラクションのようなそんな印象があった。そして若いカップルや女性たちが訪問する場所であり、私のような人間が行く場所ではないとずっと思っていた。
私のたびのスタイルを知っていた職場の上司から、
「バリ島なんて君らしくないじゃないか。」
とも言われたが、ならば自分らしい風景を求めてたびしようではないか、と心に決めてたび立った。
そんな自分らしい風景を探しまわるのに、たいして時間など必要なかった。
家の門前や祠、寺院ではバリの衣装に正装した人たちの祈りが日々繰り返され、毎日どこかで儀式や行事が繰り広げられ、市場で繰り広げられる現地の人々の人間模様、路地では人なつこい子供たちに何度となく出くわした。
私が泊まるロスメンと呼ばれる民宿に集まる人たちは、私と同じように一人でたびする人ばかりで、私がウブドで泊まった宿には絵を描きながらたびする人、バリダンスを学んでいる人、部屋のテラスでホルンのような大きな楽器を吹いている人、みんなそれぞれのしっかりした目的をもってバリの人々と同化しているのが伺えた。
知らない土地に一歩を踏み込むのは少しの勇気が必要かもしれないけれど、でも行かなければ何も分からない。
だから、これからも新たな出会いを求めて新たな土地をたびしたい。
バリ島。
私のたびのスタイルを知っていた職場の上司から、
「バリ島なんて君らしくないじゃないか。」
とも言われたが、ならば自分らしい風景を求めてたびしようではないか、と心に決めてたび立った。
家の門前や祠、寺院ではバリの衣装に正装した人たちの祈りが日々繰り返され、毎日どこかで儀式や行事が繰り広げられ、市場で繰り広げられる現地の人々の人間模様、路地では人なつこい子供たちに何度となく出くわした。
私が泊まるロスメンと呼ばれる民宿に集まる人たちは、私と同じように一人でたびする人ばかりで、私がウブドで泊まった宿には絵を描きながらたびする人、バリダンスを学んでいる人、部屋のテラスでホルンのような大きな楽器を吹いている人、みんなそれぞれのしっかりした目的をもってバリの人々と同化しているのが伺えた。
知らない土地に一歩を踏み込むのは少しの勇気が必要かもしれないけれど、でも行かなければ何も分からない。
だから、これからも新たな出会いを求めて新たな土地をたびしたい。
by asiax
| 2007-01-21 21:49
| インドネシア(バリ島)