2007年 09月 01日
置き去りの腕時計
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あっ、ないっ。
そう気付いたとき、私はすでにボゴールから直行バスに乗って、ジャカルタに向かう途上にあった。
私は時間をさかのぼり、そしてたどり着いた。
その日、日中の散歩からボゴールでお世話になっていた友人宅に帰り、水浴びをするときにはずしたのが最後の瞬間だ。
案の定、その日の晩お世話になるジャカルタの友人宅に電話がかかってきた。
「アナタハトケイヲワスレマシタネ。ドウシマスカ?」
翌日、私は午前の便でジャカルタ空港からジョグジャカルタに向かう。ボゴールまでは片道2時間、もう戻ることはできない。
その腕時計は2001年、はじめてのアジアバックパックのたび用に買ったのだ。そのたびでは電気が限られた時間しか来ない村や、山岳民族の村を訪問する予定で、夜、真っ暗な中でも時間が分かるよう時計盤に蛍光塗料が塗られたものを、そして暑さを考慮してベルトは金属製でなく布製のものを、また、時差の調整が容易にできるようアナログ式を選んだのだ(私はデジタルのボタンがいくつもあるのが苦手)。
それが使い勝手がよく、決して高価でない気軽さもあって、アジアのたびではその2006年のインドネシア訪問までずっと私の左腕に巻かれ、ともにたびをしてきたのだった。
-私の腕時計は、あなたの家にいたいと言ってます。-
つたない英語ながら、電話の向こうから笑い声が聞こえてきた。
私の腕時計が今もインドネシアにあって、そこで時間を刻み続けていることが、
なんだかうれしい。
そう気付いたとき、私はすでにボゴールから直行バスに乗って、ジャカルタに向かう途上にあった。
その日、日中の散歩からボゴールでお世話になっていた友人宅に帰り、水浴びをするときにはずしたのが最後の瞬間だ。
案の定、その日の晩お世話になるジャカルタの友人宅に電話がかかってきた。
翌日、私は午前の便でジャカルタ空港からジョグジャカルタに向かう。ボゴールまでは片道2時間、もう戻ることはできない。
それが使い勝手がよく、決して高価でない気軽さもあって、アジアのたびではその2006年のインドネシア訪問までずっと私の左腕に巻かれ、ともにたびをしてきたのだった。
つたない英語ながら、電話の向こうから笑い声が聞こえてきた。
私の腕時計が今もインドネシアにあって、そこで時間を刻み続けていることが、
by asiax
| 2007-09-01 01:39
| インドネシア(ジャワ島)