2010年 05月 08日
「撮る」という行為
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今でこそデジタルカメラで気軽にシャッターをきることができ、その場で画像を確認して納得いかなければ撮りなおすことができ、フィルムを持ち運ぶ必要もなく、現像代もかからないし、その恩恵は計り知れない。
私がアジアのたびをはじめたばかりの頃の撮影は主にフィルム一眼カメラを使用していた。そして、写真を撮るというだけでなく、その行為を大切にしたいという、へんなこだわりをこだわりを持っていて、いまやオート機能で全て自動でやってくれるピントあわせやシャッター速度、絞りの調整というものを全て自分でやらなければならないマニュアルカメラを使用していた。
当然ながらカメラを構えてからボタンを押すまで時間がかかるので、シャッターチャンスは何度も逃した。特に人物写真では相手が緊張して表情がどんどんかたくなって、心配そうな表情を浮かべてしまうことがよくあった。
でも逆に予想外なことも起こって、一眼カメラというちょっと立派なカメラで撮られることに相手も気持ちが引き締まって気合いの入った表情を見せてくれたり、周囲の冷やかし声に緊張した顔が顔がついほころんでしまったり、マニュアルカメラで撮影した写真には、そんなカメラを構えてから撮るまでの小さな物語が存在している。

この写真は11年前にフィリピン、パラワン島の海辺の集落で撮影したもの。
子供たちを撮ろうとしたら何人かの子は恥ずかしそうにして逃げてしまい、小さな子は泣き出し、そこにお父さんらしき人が「どうしたどうした」みたいな感じでやってきたその瞬間を撮影したもの。
もしこれがデジカメだったら、小さな子はまだ泣いていなかっただろうし、お父さんらしき人はこの画像の中には入っていなかっただろう。
私がアジアのたびをはじめたばかりの頃の撮影は主にフィルム一眼カメラを使用していた。そして、写真を撮るというだけでなく、その行為を大切にしたいという、へんなこだわりをこだわりを持っていて、いまやオート機能で全て自動でやってくれるピントあわせやシャッター速度、絞りの調整というものを全て自分でやらなければならないマニュアルカメラを使用していた。
当然ながらカメラを構えてからボタンを押すまで時間がかかるので、シャッターチャンスは何度も逃した。特に人物写真では相手が緊張して表情がどんどんかたくなって、心配そうな表情を浮かべてしまうことがよくあった。
でも逆に予想外なことも起こって、一眼カメラというちょっと立派なカメラで撮られることに相手も気持ちが引き締まって気合いの入った表情を見せてくれたり、周囲の冷やかし声に緊張した顔が顔がついほころんでしまったり、マニュアルカメラで撮影した写真には、そんなカメラを構えてから撮るまでの小さな物語が存在している。

子供たちを撮ろうとしたら何人かの子は恥ずかしそうにして逃げてしまい、小さな子は泣き出し、そこにお父さんらしき人が「どうしたどうした」みたいな感じでやってきたその瞬間を撮影したもの。
もしこれがデジカメだったら、小さな子はまだ泣いていなかっただろうし、お父さんらしき人はこの画像の中には入っていなかっただろう。
by asiax
| 2010-05-08 18:05
| フィリピン(パラワン島)










