2010年 10月 01日
9年ぶりのルアンナムター
|
空が広いな
中国、モンラーから国際バスに乗り、国境を越えてラオス、ルアンナムターのバスターミナルで降りたとき、そう感じた。
中国ではバスを降りると、どこも建物に囲まれていた。天気もあまりよくなくて、灰色の建物と灰色の空が重なって、その境界線が分からなかった。
バスターミナルに待機していた市街地へ向かう乗り合いタクシーには、一人の女性しか乗車していなかった。しばらく出発まで待ちそうだな、と思っていたら、意外にも私が乗車すると同時に発車した。
窓側に並ぶ2つのベンチのような直列シートにそれぞれが腰掛けた。やがて、その女性は仰向けになってそのベンチのようなシートに寝転がった。
中国では、乗車するバスはいつも満席だった。こののんびりとした感じは何なのだろう。
町の中心に入り、真新しいゲストハウスを見つけて部屋を見せてもらう。
1階の薄暗い部屋の中を、スタッフの人が電気をつけて明るくしてみせた。そして当たり前のように扇風機が回った。
9年前、私はタイからラオスのフエサイという町に入国し、スローボートに乗って途中の村で1泊し、計2日かけてルアンプラバンに辿りついた。そこで2日滞在後、バスターミナルで何時にでるのか分からないバスの出発に2時間近く待たされ、人と物でぎゅうぎゅうづめのおんぼろなバスに乗って、がたがたの道で何度も腰が浮き、へとへとになってルアンナムターにやってきた。
夕方着いた宿の部屋に入り、電気がつかないことに文句を言おうと思ったら、スウィッチの横に
「18時を過ぎないと電気がこない」
といったことの書かれたビラが貼り付けてあった。
24時間電気がきていないため、町には冷蔵庫がなく、食堂でもぬるぬるのファンタオレンジを飲まされた。
だから、今回のたびで昼過ぎに入ったその宿に電気がきているという、たったそれだけのことがうれしかった。
荷物を置いて外にでると、売店にはどこにも冷蔵庫が備えてあって、よく冷えたジュースやビールが置いてあった。
野外食堂のテーブルが黒ずんで見えるほどいたハエも少なくなり、食事を提供する場はどこも清潔感があった。
当たり前のように見せる人々のやさしい笑顔、「サバイディ」と言って手を振る好奇心旺盛な子どもたち。
この町も、人々の心も、9年前より確かに豊かになっている、そう実感した。
中国、モンラーから国際バスに乗り、国境を越えてラオス、ルアンナムターのバスターミナルで降りたとき、そう感じた。
中国ではバスを降りると、どこも建物に囲まれていた。天気もあまりよくなくて、灰色の建物と灰色の空が重なって、その境界線が分からなかった。
バスターミナルに待機していた市街地へ向かう乗り合いタクシーには、一人の女性しか乗車していなかった。しばらく出発まで待ちそうだな、と思っていたら、意外にも私が乗車すると同時に発車した。
窓側に並ぶ2つのベンチのような直列シートにそれぞれが腰掛けた。やがて、その女性は仰向けになってそのベンチのようなシートに寝転がった。
中国では、乗車するバスはいつも満席だった。こののんびりとした感じは何なのだろう。
町の中心に入り、真新しいゲストハウスを見つけて部屋を見せてもらう。
1階の薄暗い部屋の中を、スタッフの人が電気をつけて明るくしてみせた。そして当たり前のように扇風機が回った。
夕方着いた宿の部屋に入り、電気がつかないことに文句を言おうと思ったら、スウィッチの横に
「18時を過ぎないと電気がこない」
といったことの書かれたビラが貼り付けてあった。
24時間電気がきていないため、町には冷蔵庫がなく、食堂でもぬるぬるのファンタオレンジを飲まされた。
だから、今回のたびで昼過ぎに入ったその宿に電気がきているという、たったそれだけのことがうれしかった。
荷物を置いて外にでると、売店にはどこにも冷蔵庫が備えてあって、よく冷えたジュースやビールが置いてあった。
野外食堂のテーブルが黒ずんで見えるほどいたハエも少なくなり、食事を提供する場はどこも清潔感があった。
当たり前のように見せる人々のやさしい笑顔、「サバイディ」と言って手を振る好奇心旺盛な子どもたち。
by asiax
| 2010-10-01 20:25
| ラオス