2010年 11月 29日
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9年ぶりにラオス北部を訪問してから、昔自分が作ったホームページを久しぶりに見て、ああ、自分はかつてラオスでこんなたびをして、こんなことをしてたんだ、とまるで他人事のように眺めていた。
かつて、家の垣根越しに投げキッスらしき行為を繰り返したあの子の住んでいた場所には、明らかに違う住人が住んでいて、高床式家屋の軒下で機織りをしていた姿が見られなくなり、以前宿泊したムアンシンの宿は経営者が変わったのか、外観だけがそのままに宿の名前だけが変わっていた。
その一方で、一日中電気が通っていて、きんきんに冷えたビールが飲めるようになり、市場の屋台はとても清潔になり、バスの移動では、人と物とでぎゅうぎゅうに押し込まれることもなかった。
いい意味でも、残念な意味でもいろんなことが変わってしまったけれど、その一方で、以前と変わらず好奇心旺盛な子供たちの「サバイディ」の言葉が溢れていた。
昔作ったホームページはブログをはじめてからほとんど更新してなくて、文章も粗削りで、もう自分の中ではお蔵入りかな?と思っていましたが、「アジアの中で何かを手にしたい、手ぶらでは帰れない。」そんな思いを抱いてたびをして、また苦手なコンピュータ相手に何度も嫌になりながらもページデザインから写真の配置など、いろいろ考えながら作り上げました。
このサイトが、アジアをたびするための一歩を踏みだそうとしている誰かの背中を、ちょこん、と押してあげられたらと思ってます。
アジアⅩの町
かつて、家の垣根越しに投げキッスらしき行為を繰り返したあの子の住んでいた場所には、明らかに違う住人が住んでいて、高床式家屋の軒下で機織りをしていた姿が見られなくなり、以前宿泊したムアンシンの宿は経営者が変わったのか、外観だけがそのままに宿の名前だけが変わっていた。
その一方で、一日中電気が通っていて、きんきんに冷えたビールが飲めるようになり、市場の屋台はとても清潔になり、バスの移動では、人と物とでぎゅうぎゅうに押し込まれることもなかった。
いい意味でも、残念な意味でもいろんなことが変わってしまったけれど、その一方で、以前と変わらず好奇心旺盛な子供たちの「サバイディ」の言葉が溢れていた。
昔作ったホームページはブログをはじめてからほとんど更新してなくて、文章も粗削りで、もう自分の中ではお蔵入りかな?と思っていましたが、「アジアの中で何かを手にしたい、手ぶらでは帰れない。」そんな思いを抱いてたびをして、また苦手なコンピュータ相手に何度も嫌になりながらもページデザインから写真の配置など、いろいろ考えながら作り上げました。
このサイトが、アジアをたびするための一歩を踏みだそうとしている誰かの背中を、ちょこん、と押してあげられたらと思ってます。
アジアⅩの町
by asiax
| 2010-11-29 00:12
| ラオス