2011年 11月 06日
出発進行?
|
下の記事、「バスステーション?」の続き
8時、大きな荷物を持った人たちが集まってきたものの、肝心のバスが来ない。
乗客の中には、大きなパックパックを背負った欧米人が一人いた。まさか、こんなマイナーな区間を移動する外人ツーリストが私以外にいるとは思わなかったので、なんかちょっと心強かった。

しばらくして、えらいポンコツなバスがやってきた。
人々が扉の前に集まり、車内に入ると荷物を置いて席を確保していく。
私も、もうすでに一つの荷物が置いてある2人掛けの席に荷物を置いて外にでようとすると、後から入ってきたおじさんが、先に荷物を置いていた人のそれをどけて腰掛けてしまった。
- なんか面倒なことになりそうだな。 -
私は荷物を持って外にでた。
外では、ドライバーさんがレンチを使ってタイヤホイールのボルトを締め付けている。
- 今から出発だというのに、大丈夫なのか、これ。 -
人縄筋ではいかないな、と思った。
点検が終わり、大きな荷物を屋根に載せ、人々が車内に乗り込みはじめた。早くから待っていた人たちが席につき、後からきた若者連中が通路に並んだ布袋に入った大きな荷物の上に座っていく。
茶髪のちょっとガラの悪そうな青年よりひとあし先に乗り込むと、運転手や車掌さんが私に声をかけ、運転席の後ろ、エンジン上部でちょっと一段高くなったボンネット状の場所に座るよう私を促した。運転席と助手席の間で、フロントガラスからの景色も楽しめそうだ。
最後に乗った青年は、扉のステップに座る余地もなく立っていた。
やはり車掌さんが「一番後ろの席に、詰めたらもう一人座れるからそのほうが楽だよ。」と声をかけるものの、青年は恥ずかしそうに首を振り、その場に立っていた。見た目と違い、繊細な青年だった。

8時半を過ぎてようやくバスは出発した。
なだらかな畑作地帯と小さな集落を繰り返し通り過ぎていく。
平らな道や下りではそれなりにスピードがでるこのバスも、上り坂になると極端にスピードが落ちる。

出発して1時間もたたないうちに尻が痛くなってきた。
私がのっかっているエンジン上部は、私のほかに2人座っていて、無理な姿勢を保っていたのがいけなかった。時々姿勢を変えながら必死に耐え忍ぶ。
袋の中で潰れた何かのフルーツの果汁が袋の表面をにじませ、車内に甘い香りが漂う。
出発して2時間が過ぎた頃だった。
パーン
という何かが破裂する音が響くと、バスは徐行し、小さな集落の中で停車した。
パンクしたのだ。
男性人はそこいらで用を足し、女性たちは茂みの中へ隠れていった。
待機中、欧米人の人と少しの会話をした。フランスの出身で、昨日はルアンプラバンからスローボートで川を上ってパクベンにやってきたという。ウドムサイに着くと、そのあとムアンラーに行くと言った。私はその場所が分からずラオスの地図を開くと、ウドムサイの北東にその町があった。この町は歩き方では紹介されていない。どこまでもマニアックなたびをする人だなぁ、と思った。

しばらくすると、荷台にタイヤを載せたバイクがやってきて、タイヤ交換がすむとまもなく出発した。
少しずつ乗客を降ろしていくと、足を伸ばして座れるようになり、扉のそばでずっと立っていた青年も、荷物の上に腰掛けていた。

デジカメを構えていると、隣の席の少女が画面を興味深そうに眺めている。
私はカメラをフロントガラスから少女に振り向けた。
10年前、このくらいの年頃の少女にカメラを向けたとたん顔を伏せてしまったり、なかには泣いてしまう子もいたりしたものだ。

路上の野菜を乗客の何人かが買っていった。
激しく揺れる車内の中で、きれいに皮を剥いていくと、きゅーりのにおいが充満する。
キューリは大嫌いだ。
丁重に断るつもりが、

- マイアーオ(いらない) -
とはっきりと言ってしまい、バツの悪い気になった。こんなとき、現地の言葉のボキャブラリーが少ないことを空しく思う。
パクベンをでて5時間後の13時半、無事ウドムサイに到着した。
座っていただけなのに、あまりの体力の消耗に、宿にチェックインするとしばらくベッドに横になった。
8時、大きな荷物を持った人たちが集まってきたものの、肝心のバスが来ない。
乗客の中には、大きなパックパックを背負った欧米人が一人いた。まさか、こんなマイナーな区間を移動する外人ツーリストが私以外にいるとは思わなかったので、なんかちょっと心強かった。

人々が扉の前に集まり、車内に入ると荷物を置いて席を確保していく。
私も、もうすでに一つの荷物が置いてある2人掛けの席に荷物を置いて外にでようとすると、後から入ってきたおじさんが、先に荷物を置いていた人のそれをどけて腰掛けてしまった。
- なんか面倒なことになりそうだな。 -
私は荷物を持って外にでた。
外では、ドライバーさんがレンチを使ってタイヤホイールのボルトを締め付けている。
- 今から出発だというのに、大丈夫なのか、これ。 -
人縄筋ではいかないな、と思った。
点検が終わり、大きな荷物を屋根に載せ、人々が車内に乗り込みはじめた。早くから待っていた人たちが席につき、後からきた若者連中が通路に並んだ布袋に入った大きな荷物の上に座っていく。
茶髪のちょっとガラの悪そうな青年よりひとあし先に乗り込むと、運転手や車掌さんが私に声をかけ、運転席の後ろ、エンジン上部でちょっと一段高くなったボンネット状の場所に座るよう私を促した。運転席と助手席の間で、フロントガラスからの景色も楽しめそうだ。
最後に乗った青年は、扉のステップに座る余地もなく立っていた。
やはり車掌さんが「一番後ろの席に、詰めたらもう一人座れるからそのほうが楽だよ。」と声をかけるものの、青年は恥ずかしそうに首を振り、その場に立っていた。見た目と違い、繊細な青年だった。

なだらかな畑作地帯と小さな集落を繰り返し通り過ぎていく。
平らな道や下りではそれなりにスピードがでるこのバスも、上り坂になると極端にスピードが落ちる。

私がのっかっているエンジン上部は、私のほかに2人座っていて、無理な姿勢を保っていたのがいけなかった。時々姿勢を変えながら必死に耐え忍ぶ。
袋の中で潰れた何かのフルーツの果汁が袋の表面をにじませ、車内に甘い香りが漂う。
出発して2時間が過ぎた頃だった。
パーン
という何かが破裂する音が響くと、バスは徐行し、小さな集落の中で停車した。
パンクしたのだ。
男性人はそこいらで用を足し、女性たちは茂みの中へ隠れていった。
待機中、欧米人の人と少しの会話をした。フランスの出身で、昨日はルアンプラバンからスローボートで川を上ってパクベンにやってきたという。ウドムサイに着くと、そのあとムアンラーに行くと言った。私はその場所が分からずラオスの地図を開くと、ウドムサイの北東にその町があった。この町は歩き方では紹介されていない。どこまでもマニアックなたびをする人だなぁ、と思った。

少しずつ乗客を降ろしていくと、足を伸ばして座れるようになり、扉のそばでずっと立っていた青年も、荷物の上に腰掛けていた。

私はカメラをフロントガラスから少女に振り向けた。
10年前、このくらいの年頃の少女にカメラを向けたとたん顔を伏せてしまったり、なかには泣いてしまう子もいたりしたものだ。

激しく揺れる車内の中で、きれいに皮を剥いていくと、きゅーりのにおいが充満する。
キューリは大嫌いだ。
丁重に断るつもりが、

とはっきりと言ってしまい、バツの悪い気になった。こんなとき、現地の言葉のボキャブラリーが少ないことを空しく思う。
パクベンをでて5時間後の13時半、無事ウドムサイに到着した。
座っていただけなのに、あまりの体力の消耗に、宿にチェックインするとしばらくベッドに横になった。
by asiax
| 2011-11-06 19:27
| ラオス










