2008年 08月 29日
人はもっと強くなれる
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2001年のたび、ラオス、ムアンシンの道端で、水で満たされたタンクをてんびんにさげた少女がすれ違いざまに顔をゆがめながら
「サバイディ」
と挨拶してくれた。しかし、その重さに耐えられずてんびんを降ろして立ち止まった少女に私は近づいてそれを持ってあげようとすると、
「No」
と大きな声で制止して、足早にその場を去っていった。
私はその後姿をしばらくの間追いかけていた。少女のその小さな肩に食い込むてんびんが痛々しかった。
2003年、ミャンマー、マンダレイの市場の隅に積み上げられたゴミでできた小さな丘の上で、資源になるものを探している子供たちがいた。私の存在に気づいた子と目があうと、その子は笑顔で私に手を振ってきたのだ。
いろいろな思いを抱えてたびをしていた私への、エールのような笑顔だった。
2007年、カンボジア、プノンペンの路地に続く市場を歩いていると、向こう側から小さな少年に押された盲目の老人が乗った車椅子がやってきた。老人が弾くいかにも手作りといった感じのその弦楽器は、老人の運命を訴えるような寂しげな音を響かせていた。
すれ違ったあと、その後姿を追いかけわずかばかりの紙幣をその少年に渡すと、少年はその紙幣を挟みながら合掌して感謝の意を表した。
予想もしなかったその行為に、私はしばらくそこから動けなくなってしまった。
そんな彼らの懸命に生きる姿にどれだけ励まされただろう。
人はもっと強くなれる。
そのことを教えてくれたのは、アジアの子供たちだった。
「サバイディ」
と挨拶してくれた。しかし、その重さに耐えられずてんびんを降ろして立ち止まった少女に私は近づいてそれを持ってあげようとすると、
「No」
と大きな声で制止して、足早にその場を去っていった。
私はその後姿をしばらくの間追いかけていた。少女のその小さな肩に食い込むてんびんが痛々しかった。
2003年、ミャンマー、マンダレイの市場の隅に積み上げられたゴミでできた小さな丘の上で、資源になるものを探している子供たちがいた。私の存在に気づいた子と目があうと、その子は笑顔で私に手を振ってきたのだ。
いろいろな思いを抱えてたびをしていた私への、エールのような笑顔だった。
2007年、カンボジア、プノンペンの路地に続く市場を歩いていると、向こう側から小さな少年に押された盲目の老人が乗った車椅子がやってきた。老人が弾くいかにも手作りといった感じのその弦楽器は、老人の運命を訴えるような寂しげな音を響かせていた。
すれ違ったあと、その後姿を追いかけわずかばかりの紙幣をその少年に渡すと、少年はその紙幣を挟みながら合掌して感謝の意を表した。
予想もしなかったその行為に、私はしばらくそこから動けなくなってしまった。
そんな彼らの懸命に生きる姿にどれだけ励まされただろう。
人はもっと強くなれる。
そのことを教えてくれたのは、アジアの子供たちだった。
by asiax
| 2008-08-29 20:32
| 東南アジア