2008年 12月 21日
イーリンホーにて
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アジアのたびをくり返すうち、自然と何かにでくわす不思議な力が自分に備わってきて、それはあの時もそうだった。
サパの町から最も近くにある少数民族の村、カットカットに予想以上に早く到着し、村人のおみやげ攻撃に辟易し、早くここから出ようと地図を広げ次に向かう村を探していたとき、まず目に入ったのはシンチャイ村だった。ただ、その村も車が通れる道が整備されていて、やはりカットカットと似たり寄ったりの村であることが容易に察しがついた。
もうひとつはカットカットの南にあるイーリンホー村だった。ここは車の通れる道からはずれて、トレッキングルートを歩いていかないと辿りつけない場所だった。ちょっとハードな移動になるものの、きっと素朴な村の風景が残っているだろう。時間も十分にあった。
イーリンホー村に着いて眺めのよい高台から村を見下ろすと、一軒の家の前にたくさんの黒モン人が集まっていた。私は迷うことなくそこに近づいていく。
板を組み立てて箱をつくっているのを見たとき、葬式だと確信した。
樹々の間から笑顔いっぱいに好奇心旺盛な目で私を眺めている幼い子供たち。写真を撮ってその子たちに見せてあげようと近づくと、きゃーきゃー言って逃げてしまった。
なんて素朴なんだ。でも、観光地化された他のサパ近郊の村とのギャップに私自身も少々戸惑った。
自分から近づかず待ってみよう。
すると、村の男の人が竹筒の猪口に透明な液体を注いで私に手渡した。
強い酒だ。米で作った蒸留酒だろう。それを飲み干すと、村の人たちとの距離がぐんと近づいた。
私は家の中に入ってみたかった。でもそこはモン人の神聖なる場であることに間違いはない。私のような部外者が立ち入ることは許されないだろう。
ここでも自分から動かず、待ってみた。
そして一人の男が私に何か話しかけてきた。それはベトナム語なのか、モン語なのか、それともスラングのきいた英語なのか全く分からなかった。
ただ、その男がくり返す言葉を理解できずにいると、周りの男たちが彼に「やめなさい」、みたいなことを告げ、私には「どうか気になさらないでください」みたいなことを身振りで示した。
そんな彼らのやりとりからなんとなく察しがついてきた。そして、しびれをきらしたその男は「俺について来い」みたいな口調で、ついに私をその家の中へ誘い込んだ。
正面の壁に高さ2メートルほどの所だろうか、民族衣装にくるまれた遺体ののった寝台が架けられていた。老女だろうか、とても小さな体に見えた。
そのすぐ下の床に遺族の方々だろうか、並んで座っていた。祈祷師が唄うように何かを朗読している。
「なあ、これで分かるだろ。人が亡くなったんだよ。こんなにたくさんの人が集まってみんなに食事や酒をふるまい、祈祷師の方にきてもらい、金が必要なんだよ。だから10ドル払ってくれ。」
恥ずかしながら、私はこのときそれだけのお金を持ち合わせていなかった。ただ、この場に立ち会ったものとして、わずかながらのベトナムドン紙幣をその男に手渡した。そしてその男が遺体の下で座っている喪主と思われる方に渡そうとするが、その人はなかなかそれを受け取ろうとはしなかった。
わざわざ遠方からいらっしゃった方に、われわれのために余計な負担はかけられない。
そのような姿に見えた。それでもわずかながらの気持ちですから、と身振りで相手に伝えると、その人は私のところにやってきて両手で握手をしてくれた。
銅鑼の響きと笙の音が家の中を包み込むと、外にいた人たちが中に入ってきて、黒モン人たちの大きな輪となり、私は頃合いを見計らって外に出た。
太陽が、やけに眩しかった。
サパの町から最も近くにある少数民族の村、カットカットに予想以上に早く到着し、村人のおみやげ攻撃に辟易し、早くここから出ようと地図を広げ次に向かう村を探していたとき、まず目に入ったのはシンチャイ村だった。ただ、その村も車が通れる道が整備されていて、やはりカットカットと似たり寄ったりの村であることが容易に察しがついた。
もうひとつはカットカットの南にあるイーリンホー村だった。ここは車の通れる道からはずれて、トレッキングルートを歩いていかないと辿りつけない場所だった。ちょっとハードな移動になるものの、きっと素朴な村の風景が残っているだろう。時間も十分にあった。
板を組み立てて箱をつくっているのを見たとき、葬式だと確信した。
なんて素朴なんだ。でも、観光地化された他のサパ近郊の村とのギャップに私自身も少々戸惑った。
自分から近づかず待ってみよう。
強い酒だ。米で作った蒸留酒だろう。それを飲み干すと、村の人たちとの距離がぐんと近づいた。
私は家の中に入ってみたかった。でもそこはモン人の神聖なる場であることに間違いはない。私のような部外者が立ち入ることは許されないだろう。
ここでも自分から動かず、待ってみた。
ただ、その男がくり返す言葉を理解できずにいると、周りの男たちが彼に「やめなさい」、みたいなことを告げ、私には「どうか気になさらないでください」みたいなことを身振りで示した。
そんな彼らのやりとりからなんとなく察しがついてきた。そして、しびれをきらしたその男は「俺について来い」みたいな口調で、ついに私をその家の中へ誘い込んだ。
そのすぐ下の床に遺族の方々だろうか、並んで座っていた。祈祷師が唄うように何かを朗読している。
「なあ、これで分かるだろ。人が亡くなったんだよ。こんなにたくさんの人が集まってみんなに食事や酒をふるまい、祈祷師の方にきてもらい、金が必要なんだよ。だから10ドル払ってくれ。」
わざわざ遠方からいらっしゃった方に、われわれのために余計な負担はかけられない。
そのような姿に見えた。それでもわずかながらの気持ちですから、と身振りで相手に伝えると、その人は私のところにやってきて両手で握手をしてくれた。
銅鑼の響きと笙の音が家の中を包み込むと、外にいた人たちが中に入ってきて、黒モン人たちの大きな輪となり、私は頃合いを見計らって外に出た。
太陽が、やけに眩しかった。
by asiax
| 2008-12-21 18:29
| ベトナム